James V, (born April 10, 1512, West Lothian, Scot.-died Dec 14, 1542, Falkland, Fife), 1513年から1542年までスコットランド王を務めた。
治世前半の少数民族時代には、親フランス派と親イングランド派の争いの手先となり、自ら政権を握った後は、プロテスタント貴族に対してローマ・カトリックを支持し、フランスと同盟を結んだ
父ジェームズ4世(1488-1513統治)の位を継いだ時は、ジェームズが17ヶ月だった。 親フランス派のオルバニー公ジョン・スチュワートと、イングランド派のアンガス伯アーチボルド・ダグラスの間で展開された権力闘争では、それぞれが若い支配者を手に入れようとした。
アルバニーは1524年にフランスに退去し、アンガスは1526年から1528年までジェームズを幽閉し続けたが、王は脱出しアンガスをイングランドに逃がした。 1530年までにジェームズはスコットランドで権力を強化した。 1534年に叔父であるイングランド王ヘンリー8世と条約を結んだが、1538年にフランスの貴族メアリー・ド・ロレーヌと結婚し、以後フランスと同盟してイングランドに対抗した。 また、その財政的な高騰は臣民の心には響かなかった。
1542年にヘンリー8世の軍がスコットランドを攻撃したとき、ジェームズの小軍はプロテスタント貴族の不和で弱体化し、イングランドに渡って1542年11月24日にソルウェイモスの国境近くで簡単に敗走した。 この大惨事で王は精神的に衰弱し、1542年12月14日、唯一生き残った嫡子メアリー・スチュアート(スコットランド女王)の誕生から1週間後に死去した。 彼の非嫡出子にはモレー伯爵ジェームズ(1570年没)がおり、1567年にメアリー・スチュアートが王位を退くと、彼はスコットランドの摂政となった
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